言葉と視線の関連性

もともと物欲がなく、
なるべく物も増やしたくないので、
(と言いつつ、まだまだ不用品に囲まれ中)
何かをコレクションする趣味はありませんが、
心に響く言葉の数々は大好きで、
文庫サイズのチビノートに、よくメモってます。

ちなみに、ノートにメモする時は、
常に、右ページから書き始めるのがおススメです。
いつか、ルーズリーフのようにバラして、
テーマごとにまとめることも可能だからです。

ちょっとエネルギー不足を感じる時、
そのノートを開くと、
忘れかけてたあれこれを思い出し、
あっという間に元気が出てくるから不思議です。

人が、重い気分になる時って、
あ〜すればよかった、
あんなことしなければよかった、などなど
後悔の念にかられる時が多いですよね。

そういう気分になった時、
しばらく前までは、
アラン『幸福論』が引用してた
スピノザ
「後悔は、もうひとつの過ち」
を少しアレンジして、

ダメダメ、
そんなにウダウダ悔やむのは、
第2の過ち、第2の過ち...
と、呪文のように唱えていました。

それはそれで、
それなりに効果があったのですが、
『振り子の法則』(ヴァジム・ゼランド)という本で、
「失敗を喜ぶ習慣を身につける」
という言葉に出会ってからは、
なんだか、
失敗が良いことに思えるようになり、
喜ぶ、喜ぶ....
と、唱えるようになりました。

そして、ある日、ふと気づきました。

第2の過ち、第2の過ち...
と繰り返していた時は、
どこかに後ろめたさがあったのか、
心もち、視線が下向きだったのに、
喜ぶ、喜ぶ... に変えてからは、
心もち、視線が上向きなのです。

試しに、視線を上向き加減で、
第2の過ち、第2の過ち... と繰り返すと、
なんだか、少し無理があり、
逆に、視線を下向き加減で、
喜ぶ、喜ぶ... を繰り返すのも、
ちょっと抵抗を感じます。

沖(正弘)先生のご本に、
「合掌すると、浅い呼吸ができなくなる」
とありましたが、
同様に、言葉も、
身体のメカニズムと結びついている
のかもしれません。