「無人島」の孤独と「孤島」の孤独

先日、堀江(敏幸)さんのエッセイ、
『正弦曲線』を読むまで、
私も、無人島=孤島、と思っていたことに
気づきませんでした。

以前、ちらっとご紹介した、
コーエンの『我が母記』の冒頭部分の

人は皆、孤独なもので、
他人のことなど、どうでもよくて、
苦しみは、無人島のようなもの。

を訳した時も、私がイメージしていたのは、
「大洋にポツリと浮かんだ、誰も住んでいない島」
でした。

でも、堀江さんがおっしゃるように、
無人島は、人さえ住んでいなければ、
陸地からの距離は関係ないんですよね。

本当に一人ぼっちの孤独と、
俗に言う、
”living together, feeling alone”の孤独は、
似て非なるものなのかもしれません。

孤島に一人ぼっちは、
周りに誰の姿も見えませんが、
無人島に一人ぼっちは、
人々の姿や気配を感じられる場合もあり、
その分、余計に厳しい気がします。

先日のhabitusの話じゃないですけど、
これまで特に孤独を意識したことがないせいか、
それが原因で病になる可能性もあるということに
全く考えが及びませんでした。
運動、運動と言ってきたのは、そのせいです。

孤独が引き金になっている病には、
薬も運動もあまり効果がないような...