愛情の証明は、記憶力の誠意

阿久悠さんが、お元気でいらした頃、
新聞のコラムを心待ちにしていました。

偶然見つかった切抜きのタイトルです。

愛情の証明は
小さなことを忘れないでいる
記憶力の誠意だ

愛情とは、

何気ない、さりげない日常の会話の中に
散りばめられていた語り手の本心を、
よく覚えてあげていて、
ある日、ある時、それに応えてやることである。

これって、家族や友人に限らないですよね。
いつだったか、
約1ヶ月ぶりに診て頂いた皮膚科の先生に、
「そういえば、前回おっしゃってた**の件ですが...」
と新たな情報を頂いた時は、とても嬉しかったです。

欲しいものや嬉しいことを
知っていてくれただけでも愛情を感じるし、
嫌悪を自然な態度で避けてくれたら、
それも強く感じる。

これにも全く同感ですが、
欲しいものや嬉しいことって、
常に同じとは限らないんですよね。

以前、数年ぶりに訪ねた海外の友人が、
私のチョコ好きを覚えていてくれ、
用意して待ってくれていたのですが、
お肌の調子がもひとつで、
チョコ断ちしていた時期だったので、
一瞬、リアクションに困ったことがあります。

定期的に連絡を取り合っていても、
近くにいないと、
こういうすれ違いが生じるものなんですね。
もちろん、それでも
とっても嬉しかったことに変わりはありません。

自分は一体、相手の言葉に
どれだけ耳を傾け、
どれだけきちんと記憶しているだろうか...
日頃のいい加減さを反省です。