わからないことは、身体に訊く

いつの頃からか、わからないことは
身体に訊くようになりました。
頭は、どうにでもごまかせますが、
身体は、ごまかしがきかないからです。

たとえば、AとBの選択で迷う時、
それぞれイメージして、
身体が、ス〜ッと軽くなるほうを選びます。

Aを選ぶ理由も、Bを選ぶ理由も、
その気になれば、頭の中で、
いくらでも見つけられるじゃないですか。
でも、身体の反応は確実に違います。

するか、しないかの選択もそうです。
たとえ、すべき理由が100あろうとも、
身体が重〜く感じられるときは、
とりあえず、保留にすることが多いです。

食べることも、同じだと思います。
ジャンクであろうと、身体が求めるものを食べる、
と書かれたものを読んだ記憶がありますが、
私も全く同感です。

たとえ、理想の食事や食材であっても、
その時、身体が欲しているものでなければ、
さほど滋養にならない気がするのです。
普通の生活をしていれば、
ジャンク食が長く続くことはあり得ないので、
何らかの意味があるんだろうと思ってます。

では、選択の余地がない時は、一体、
どうすればいいのでしょ?

そんな時、私は解釈をいろいろ用意します。
そして、身体が一番喜ぶものを選びます。

アランの『幸福論』の、
間違った考えを捨てなさい。
そうすれば、不幸も捨てられるから。
に通じる部分があるかもしれません。